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Posted by おてもやん at

子供とメディア

2012年09月09日

こんばんは。今夜は、今朝宇土市民会館小ホールで行われた、県子ども劇場連絡会主催の講演会に参加しましたので、そのさわりを少しだけ取り上げたいと思います。

講師は、国立病院機構九州医療センター小児科医長のかたでした。

現在はテレビ、DVD、インターネット、スマホなど、多種多様なメディアがあり、あらゆる情報が容易に入手できるようになりました。その反面暴力や性といった、子どもたちに好ましくない情報さえも伝わるようになり実際に様々な悪影響が出ていることが報告されています。

NPOで調査されたところ、長時間の視聴により、運動能力や視力の低下、食事中も視聴し、家族もダラダラ見るようになる、メディア漬けにより外遊びが減る、4割の幼児が22時以降に就寝する、死んだカブトムシへ「電池を替えて」といったお願いを言うようになる、リセットの感覚でとらえるようになる、といった事例が相関関係として報告されてます。

また、長時間の視聴により就寝が遅くなる、睡眠時間が短くなる、生活のリズムが不規則になる、朝食をとらなくなる、排便が不良になる、といった相関関係が報告されていまして、日米の小児科医会では以下の提言をされています。

1,2歳までのテレビ、ビデオ視聴は控えましょう。
2,授乳中、食事中のテレビ、ビデオの視聴はやめましょう。
3,すべてのメディアへ接触する総時間を制限することが重要。1日2時間を目安とする。
4,子ども部屋にはテレビ、ビデオ、PCを置かないようにしましょう。
5,保護者と子どもで、メディアを上手に利用するルールを作りましょう。


この提言の一貫として、ノーテレビデー運動を提案されてます。具体的には「食事の時だけノーテレビ」「週に1回や月に1回はノーテレビデーにする」といったもの。
例えば1,見たい番組だけ時間を決めて見る。2,終わったら消す。3,家族で内容を話題にする。といった内容。これを実践するには、特にお父さんの行動が大事なんだそうです。子どもは案外親の動きを見てますからねぇ。

このようにしてメディアとのルールを確立させると朝食がとれるようになったり情緒が安定したりしてくるんだそうです。

我が家でもこの2,3ヶ月の間、食事中のノーテレビを実施してまして、4歳の息子は食事を残さず、早く食べるようになりました。成果は間違いなく出てくるものです。

ただ、もとからテレビっ子だった僕は、食事中のある種の静けさに我慢できないので、先生に質問してみました。「食事に差し支えない範囲であればBGM等を流すのはよい」ということでした。ひとまず安心。


お父さんには耳のいたい?話ですが、頑張ろうと思います。  

Posted by ベンジー@宇土 at 21:31コメント(0)宇土のこと

宇土市民会館 姜尚中「明日への言葉」講演録1

2012年05月26日

  去る5月12日,宇土市民会館にてNHKラジオ深夜便の集いが行われ,この一環で姜尚中教授による講演が行われました。その講演の文字起こしが完了し,放送もされましたので,ここに講演要旨をアップいたします。

 (冒頭)
この講演会の前に江戸家猫八さんの鳴きマネを舞台袖でずーっと聞いていた。子どもが小さかった時に鶏の鳴きマネをすると泣きやんだりしたことがあったので,興味を持って聞いた。ここでちょっとやってみようかな・・・(会場拍手)

猫八さんは最後に「ふるさと」の曲にのせて鳴きマネをされたが,私のふるさとは熊本市の国道3号線沿いにある。そこで聞いた動物の鳴き声が今でも頭に残っている。小さい頃は母とよく宇土や三角に行っていた。また学生の時は赤瀬,網田まで自転車で来たりしていた。
上京して約40年たち,今は千葉県の,東京との境の所に住んでいる。県境には川があり,川向こうには葛飾柴又がある。昨年の震災後この付近が原発のホットスポットになってしまい,地価が低下。人口が減少している。都心に近いところで人口が減ることなど今までは考えられなかった。

 (本題に入る)
 今日は「母なるもの」について考えてみようと思う。先ほど猫八さんの話の中で「お袋」という言葉を使われたが,「お袋」という言葉を最近聞かなくなった。「お袋」の袋は子宮のことを指し,母親の敬称であるのだが,この言葉が最近消えつつある。韓国でも「お袋」に似た言葉で「オモニ(女性ことば)」があるが,この言葉も聞かれなくなっている。60を過ぎた今でも私にとって母は最大の存在であり,近年は「オモニ」という本を出版・ベストセラーになった。韓国でも「オモニ」を題材にした本が100万部を越えるベストセラーとなった。

 ところで,熊本には残念ながら地下鉄がない。地下鉄がある都市の傾向として,大体人口が200万以上ある。福岡には地下鉄があるが,経済規模を考えた場合福岡には到底かなわない。それで,私は日ごろから「熊本は九州の州都になるべき」と言い続けている。「九州のワシントンに」という意味で。福岡はニューヨーク,鹿児島はロスあたりになるんじゃないか(冗談?)

 昨年の大震災の直後,3月25日に福島へ行った。その時は警戒区域にも入った。そこで「ひとつの時代の終わり」を感じたし,「新しい時代に入った」ことも併せて実感した。福島で最も感銘を受けたのは,現地の小学生の言葉。『これからは自分で自分を守らなければいけない。だから友人を大切にする』

 また,昨年の震災後にこのような予測を耳にするようになった。
 U+2460東京直下型地震が4年以内に70%の確率で発生する。
 U+2461富士山が落下する。この影響でふもとの御殿場が土砂で流れてしまう。
 直下型地震等の大災害となった場合,例えば東京メトロで一番新しい地下鉄大江戸線は一番地下深いところに敷設されていて,かなりの損害が発生する恐れがある。  

Posted by ベンジー@宇土 at 07:02コメント(0)宇土のこと

宇土市民会館 姜尚中「明日への言葉」講演録2

2012年05月26日

 (講演の主題)
震災後の実感としてとらえた,「ひとつの時代の終わり」にあたって一番失ってしまったものが,「母なるもの」ではないか,と考える。
 母が持っていた「母なるもの」とは,2つある。U+2460「御破算願いましては」とU+2461「なんとかなるばい」という2点。

 U+2460「御破算願いましては」
 私が「オモニ」という自伝小説を書いた理由は2つある。
ひとつは,日本で生まれ育ち韓国に帰国して成功した(と伝え聞いている)私のおじとその子どもの所在を知りたい,という一心で,メッセージを込めて出版したかった。おじの子どもは,生きていれば今年65才,自分と同世代になる。
もうひとつは「ある時代の熊本の光景を描き残したい」という願いがあった。以前テレビのロケで武田鉄矢氏と故郷の万日山(熊本市春日付近)をめぐったが,今ではコンクリートの下へと消えてしまった。それに,宇土から島原を眺める,遠浅の有明海の風景。母にとっては生まれ故郷の鎮海(釜山市付近,軍艦三笠が寄港していた)で見た「ふるさとの風景」と重ね合わせて見ていたのではないか。母にとっては「海の見える地域がふるさと」ではなかったか。そんな母も色んな事を言いたかったとは思うが,その言いたかったことを私のような子どもが何も感じないまま亡くなってしまった。
母の死に際して,人間が子どもを持つ理由として「自分の生きた証を残したい。」「自分の生きた時代は,2世代後には忘れ去られてしまう。」この2つがあるのではないか,と考えた。(その想いが自伝出版という形になったのだろう。)
母は日本語もあまりできなかったが,仕事でそろばんをやっていて,そのおかげで「御破算願いましては」という言葉をよく使った。この「御破算」という言葉,「元に戻る」という意味ではあるが,当時は皆が貧しく,「明日はどうなるか分からない」という境遇・気持ちだったであろうと思う。それでも皆元気で明るく過ごしていた。
戦後の高度成長を経て,多くの日本人はある程度のものを持てるようになった。しかしある程度のものを得てしまうと御破算にすることができなくなる。現在の格差のある社会で(今回の震災のように)御破算になると,持っていない人にとっては非常に辛い。


経済格差に伴い教育格差も大きくなってきた。以前は地方の小さな村からも東大へ入学してくる人がいた。大江健三郎さんが現役の東大生だった頃,故郷に帰省すると村長から「東大でどんなことが教えられるのか?」とよく聞かれたそうだ。しかし現在では東大に入学する学生の大半は大都市圏の,年収1000万以上の家庭の出身となってしまった。

U+2461「なんとかなるばい」
私の両親は第二次大戦中に韓国から神奈川(だったと思う)にある三菱の軍需工場に働きに出てきた。いわゆる強制連行ではない。その後空襲を逃れるため名古屋→熊本と,三菱の工場を渡り歩いてきた(当時健軍あたりに工場があった)。殆ど身一つで移住・生活してきたが,その苦労があって「なんとかなるばい」という言葉を発するようになったのではないだろうか。  

Posted by ベンジー@宇土 at 07:01コメント(2)宇土のこと

宇土市民会館 姜尚中「明日への言葉」講演録3

2012年05月26日

 母が亡くなり,竜田山のふもとに墓を建てた。『落地成根』という言葉がある。五木寛之氏がエッセイで書かれた言葉で,地についたところがふるさとである,という意味で解釈している。熊本に移って熊本で没した母は結局,この熊本がふるさとになるのではないだろうか。

 (締め)
 鴨長明の「方丈記」という書物,この書物は今回のような大震災を生き抜いた人の記録である。この方丈記を貫くテーマは「無常感」である。今までの時代はマニュアル型の社会だった。しかしこの社会で育った人間は臨機応変ということができない。この時代が終わり,これから人々は「回答のない時代」を生きていかざるを得ない。

 五高で教鞭をとった夏目漱石は,かつて「人は二度生まれになりたい。」と語ったことがある。裕福な家庭に生まれ育ち,順風満帆に生きてきた人にとっては二度生まれになることはない。何かの試練や苦労があると人は二度生まれになれる,というそうだ。(母なるものを失った)これからの新しい時代に,日本は生まれ変わらなければならない。

 御清聴ありがとうございました。(会場拍手)

「平成24年5月12日(土)14時〜15時 宇土市民会館 大ホール」
  

Posted by ベンジー@宇土 at 07:00コメント(0)宇土のこと

宇土鶴城中万歳!!

2011年10月30日

こんばんは。昨夜も少しだけ書きましたが、昨夜は中学校の同窓会でありました。今回初めて顔を出さしてもらったんですけど、タイムスリップする感じでしたね。卒業して四半世紀になりましたけども、あの当時の感覚に一瞬で戻れるんですよね、不思議と。今日起きてから気づいたんですが、1次会だけで4時間以上いたんだね(^0_0^)

残念ながら、当時一緒によく遊んでた友人とか片思いで終った女の子とかは来てませんでしたけども、約60名近い同級生の多くの方々と、そして3名の恩師の先生と、有意義な時間を過ごさせていただき、感謝しております。ありがとうございます。そして幹事のS君N君や企画されたH君(超有名人)、こうした機会を設けてくれてお疲れ様&ありがとうございました。また機会があれば必ず顔を出しますので、よろしくです。

個人的にはね、べんじーさんと呼ばれると嬉しいね〜また明日からのエネルギーにしたいと思います。頑張りましょう!  

Posted by ベンジー@宇土 at 23:07コメント(0)宇土のこと

「うと創作うまかもん」スタート!

2011年10月05日

 こんにちは。10月に入り急に寒くなりましたが,風邪などひかれてませんか?少しだけ鼻がヤバい?管理人です。

 さて,宇土の秋の風物詩になりつつある「お茶漬けイベント」,今年で4年目になるそうですが,今年は網田の海岸で取れる「マテ貝」の創作料理もラインナップに登場してパワーアップ。マテ貝は「おこしき貝」として出されることになりました。

 詳しくは宇土市観光物産協会(http://www.kankou.tv/kumamoto/city-uto)のHPを御覧いただきたい,と思いますが,今年は全部で19のお店がこのイベントに参加されています(10月1日から11月30日まで)。宇土市に御越しの際は,是非お立ち寄りください。

 ところで!今年も早速個人的に気に入っている孫悟空さんの「海鮮茶漬け」を先日いただきました。

  
これが2011年バージョン「海鮮茶漬けです」
































(ようやくまともに画像がアップできました)(^_^)

 この孫悟空さんの海鮮茶漬け,4年目なんですけどすっかり定番になった感じですね。今年もここから始まりました。また,どこかのお店で頂く機会があればその都度アップします。お楽しみに~

 P.S. この写真を取るための場所取りやアングルに夢中になり,思わず子供用のイスに座ろうとしてました。うーん,どんな時でも周りはよく見よう>自分

    

Posted by ベンジー@宇土 at 17:23コメント(0)宇土のこと

宇土半島を,元気に。

2011年09月26日

 こんにちは。先週末は1日限定で「3児の父」役をやっていた管理人です(甥っ子たちが泊りに来ていたので)。まぁ賑やかなのなんの!でも普段よりは正直ラクでした(甥っ子たちが息子を見てくれるので)。嫁さんからはそんな僕にブーイングでしたけども。

 ところで,先週末の3連休,この宇土の街で少しだけいつもと違うイベントがありました。まずは,TKU制作の九州限定ドラマのロケ撮影。小西行長の生涯を題材にした90分ほどのドラマになるそうです。23日の朝息子と散歩しておりましたら,市民会館の玄関がやたらと賑やか・・・「何かイベントなのか?」と息子ともども覗いておりますと,スタッフらしき方が近づいてきて「宇土にお住まいですか?」とのお尋ね。カメラとか照明機材とかあったので,恐らくドラマの撮影現場に出くわしたんだと思うんですが,あまり周知されていないせいか?ロケ見学(いわゆるやじ馬)の人は殆どいませんでした。2つめは日曜夜のJazz Night。昨年に続き2回目らしいのですが,残念ながら参加できず。個人的にはこういうのは大好きなんですよ!

 そして,タイトルに書いた,まちおこし座談会が23日に市民会館で行われました。ことの成り行きをかいつまんで申しますと,日本全国津々浦々にある半島の振興を図るため国土交通省が半島振興事業という制度を立ち上げたのがきっかけでして,その事業に「宇土天草」エリアが手を挙げて,今取り組んでいると,こういうことなんですね。その事業が最近始動したばかり,というわけで,この第1回目の座談会に顔を出した,という次第です。

 この半島振興事業というのは聞いたところ「宇土天草」を入れて全国で4か所が採択・実施されているそうで,逆に言えば日本でも「4本の指」に入っている,という,凄いプロジェクトなんです!←言い過ぎ。ま,国土交通省が直接プロデュースしているわけですから,事業のレベルが格段に違います(当り前ですが)。この座談会には青森県は下北半島の先端,つまり本州最北端の町「大間町」のまちおこしメンバーが参加,講演をされました。「大間」と言いますとマグロの一本釣りの印象が強いんですけど,それ以上にオリンピックの時の「マグロ一筋」Tシャツの町,というイメージがあります。こうしたムーブメントを作り出した方々がわざわざ宇土の地においでになられる,ということで「これは行かねば!」というわけで,昼間の座談会はもとより夜の「飲み会」まで御一緒させていただきました。まちおこし「ゲリラ」の皆さんのパワーに圧倒されて,あっという間の半日になりました。ありがとうございました。

 つくづく考えてみますと,大間のまちおこしの方々はドラッカーが言うところの「自らの強みをいかす」「顧客の創造」という点ではまさにケーススタディにふさわしい活動をされていらっしゃるんだな,と思います。さらに東京や都会第一の考え方から,故郷を価値の中心にすえるという「発想の転換」,このあたりもさすがだな,という気がしました。

 私たちはこの宇土の町を普段から眺めていて,どうしても東京や福岡,熊本といった「都会」の視点から(半ば無意識に)捉えてしまう。その結果「宇土には何もない」,こんな言葉が口をついて出てくる。確かに物流やビジネス,情報といった「目に見える,物理的な動き」的なものを主眼にとらえれば,都市部ほど多くはないかもしれない。でも,「ゆったりと流れる時間」とか「人と人とのつながり」とか,素朴な面,言うなれば自然という視点からとらえれば,きっとアドバンテージにはなるはずです。宇土に住んいて,あまりにも身近過ぎて気がつかない利点とか,こんなこともこれからのワークショップで掘り起こしてもらえれば,と願っています。

 最後に,宇土まで(仕事とはいえ)おいでくださいました,大間町あおぞら組の皆様,誠にありがとうございました。懇親会はラーメン屋までお付き合いさせていただいた者のひとりです。無事に帰宅されましたでしょうか?いつか必ず青森に伺いたいと思います。

 「追伸」
 僕はアコースティックギターが趣味なので,青森と聞きますとこの方を思い出します。あおぞら組結成の年にこの方のライブを見に行ったこともあります。いつかは(コピーではあるけれど)皆さんに披露できれば,と半ば生意気なことを言いつつ今日の記事を終えたいと思います。
 ♪天使達の歌(坂本サトル)  

Posted by ベンジー@宇土 at 17:57コメント(0)宇土のこと

熊本支援チーム 出発!

2011年03月22日

















(すみません、設定がうまくいかずに縦になってます)


本日、地域ボランティアの皆さんによる救援物資の運搬が始まりました!
先日から民間ボランティアの皆さんの精力的な活動があり、非常に多くの物資が集められたそうです。
多くのメディアの取材の中ちょっとした壮行会があり、ドライバーを中心に遠征スタッフが気合いを入れていらっしゃいました。
くれぐれも事故には気をつけて、健康に留意されて現地での活動を続けていただきたいものです。


上村剛くん、応援してるよ!頑張って!  

Posted by ベンジー@宇土 at 12:35コメント(0)宇土のこと

久々の居酒屋!

2011年01月24日

旧宇土町に引っ越してから初めて宇土の飲み屋にやって来ました。歩いて何気に来れる距離!なんとも嬉しいです。もちろん?一人です。
今夜は市民会館で元松市長と上天草市の川端市長によるパネルディスカッションがありました。会場はほぼ満席ではなかったでしょうか?大盛況で、あっという間の2時間でした。お二方とも(僕も同じです)宇土高校の同窓生ですけど、行動力というかビジョンが僕なんかと全然違いますね。川端市長は市長というよりCEOという印象でした。そんなお二人に共通していたのが「アジア、特に中国と韓国を取り込めないか」という発想です。僕もアジア指向はあるので共感できる部分ではあります。
最後に経済産業省の方の話があったんですが、その中に出てきた「視点移動」という言葉、パラダイムシフトに近い印象を持ちました。
普段何気に気がつかない見過ごしている部分、あるいは「これは無理だ」と思っている部分に案外チャンスの種が潜んでいるのかもしれません。これからはもっと外へ!世界に目を向き、世界を取り込むこと、この姿勢とフットワークが必要なのではないでしょうか。
主催者の上村剛くん(小学校からの後輩みたいです)や同窓会でお会いできた今中くんとかもお見かけしましたし、久しぶりに有意義な時間を過ごさせていただきました。ありがとうございました。
もうちょっとビールを飲んで上がります。  

Posted by ベンジー@宇土 at 22:39コメント(0)宇土のこと

小西行長というコンテンツ2

2010年10月22日

 行長に関する言い伝えをもうひとつ。美里町にある3333段の石段,この石段を登ると釈迦院というお寺があります。かつては宇土に構えていたそうで,行長による迫害を避けるためこの地に移ってきたとか。そういうわけで,「宇土の人が石段を登ると雨が降る」ということも言われています。ちなみに僕が登った時は見事に晴れました。またまた閑話休題。
 昨年11月でのシンポジウムで参加されたパネリストから「今回のことは歴史的な再評価だ」という発言があり,行長を顕彰するという組織もその時初めて知りまして,「時代が変わりつつあるんだな」という思いを持ちました。パネリストは膨大な資料をもとに歴史的な(当り前か)観点から発言され,非常に内容のあるものになりました。ちなみにこの動きをまとめた冊子が宇土市教育委員会から発行されておりますので,興味があられる方はぜひそちらまで(ちゃっかりPR)。
 その中で特に興味があったのは,16世紀後半のヨーロッパの地図に「Uto」の地名が既にあること,イタリア(だったかな)では行長を題材にした歌劇がある,ということでした。キリシタン大名であったことから欧州では我々の想像以上に有名な人物であったんですね。
 まぁ,どうしても「勝てば官軍,負ければ賊軍」ですから負の側面でみてしまいがちではあるんだけど,この小西行長という,かつての宇土を治めていた殿様を,地域おこしのひとつのコンテンツにできないかなぁ・・・と思っています。逆転の発想ではないけど,誰か盛り上げてくれないかな・・と,これからも念じ続けるかもしれません。
 最後に,僕のこれまでの認識から今日の記事をアップしましたので,間違い等ございましたらご指摘いただければ幸いです。  

Posted by ベンジー@宇土 at 18:21コメント(0)宇土のこと

小西行長というコンテンツ1

2010年10月22日

 今週末はおそらくアップしないと思うので,ここでちょっと長めにまじめなことを。
 16世紀後半,太閤秀吉の時代に秀吉の家臣であった堺の商人小西行長が肥後南半分を統治することになり,その中心として宇土城が造られました。ご存知のように行長はフランシスコ・ザビエルらのイエズス会による洗礼を受けたクリスチャン大名でありますが,同時に海戦の才に長けた人物でもあったようです。行政手腕にもその能力をいかんなく発揮したようで,宇土城を中心に,宇土の街を今でいうところのウォーターフロントタウンとして開発していく構想があったそうです。しかし関ヶ原の戦いで石田三成についたことから結果的に敗戦。首枷をかけられ,42歳という若さで処刑されてしまいます。かく言う私もこの歳に近づきつつあります。閑話休題。
 この時代,肥後の北半分を治めていたのは,尾張の武将加藤清正。徳川時代を通じ,現在でも熊本では「清正公(セイショコ)さん」として親しまれているのは周知のとおりです。また,熊本城に現存する「宇土櫓」は行長を破った記しとして,宇土城の建物を移築した,という言い伝えもあります。
 さらに,徳川時代になり細川家が宇土を治めるようになると,細川氏は仏教を重視,市の中心部には浄土真宗のお寺が相次いで建立されます。この一環で始まったのが,現在の「うと地蔵まつり」です。加えてこの頃以降,地元の人たちは「行長が神社仏閣を焼き払った」ということを言い伝えるようになりました。
 このように常に歴史の中で冷遇されている行長ではありますが,おととしあたりからこの宇土では行長を再評価しよう,という動きが活発になってきております。昨年11月には大々的なシンポジウムが宇土市民会館で開催されまして,小西行長の功績をここで(多くの参加者と共に)認識することができました。ちなみにこの時の感想を熊日新聞に投稿し,見事に?採用されました。また閑話休題。
   

Posted by ベンジー@宇土 at 18:02コメント(0)宇土のこと

熊本県立宇土高等学校創立90周年記念大同窓会

2010年10月10日

今夜はホテル日航熊本にて、母校である宇土高校の同窓会が開催されました。節目の年の同窓会ということもあり、事務局発表では過去最多の約800人以上の参加があったそうです。
僕自身はあまり高校時代そのものにいい印象がなかったので、今までこういったものには出ていかなかったんですけど、今回は節目でもあるし、「実際に参加してどう感じるか、でこれからの態度を決めよう」という想いで参加してみました。結果から申し上げれば、参加してよかったです。仕事上でお会いする方との別の一面も見れましたし、何より違う世代の方々とお話ができたことが一番です。
僕自身の今後の動きとして、子育てが落ち着いた頃から自分なりのネットワークを作りたい、と思っています。仕事を越えた異業種ネットワーク、かつ地元を盛り上げられるためのもの。これが今の僕の理想です。
宇土には故郷に、我が街に情熱を傾けてくださる方が多くいらっしゃいます。こうした人達をお話ができ、改めてネットワーク作りに励みたい、との思いを強くしました。同窓会の帰りでは、「宇土も捨てたもんではない」との思いを改めて感じました。
でも、もう一度高校の時に戻りたい、とは思わない。厳しい受験勉強を二度としたくないから。彼女がいたら違ってたかもしれないけど。  

Posted by ベンジー@宇土 at 01:44コメント(4)宇土のこと

宇土市議会議員選挙。

2010年09月23日

ここで政治の話をしていいのか迷いましたが、今夜は書きたくなったので書いてます。ま、そんなに長くしないつもりなので。
今月26日告示、10月3日施行の宇土市議会議員選挙、立候補予定者のビラが配られたり色んな動きが出始めたりで、4年前と同じような?いつもの選挙前夜みたいな雰囲気になりつつありますね。こちらのおてもやんブログにも立候補される方のものがありますし。ま、立候補される分には構わないんですけど、僕なりに望みたいことがあります。
・自分の利益のためではなく、宇土市の将来に寄与できるような活動をやっていただきたい。
・「自分が議員であれば、こういうことをしたい」という、明確なビジョンを持って、それがぶれないように活動していただきたい。
・議員としての活動を逐次市民の皆様へ報告していただきたい。
とりあえずこれだけ望みます。
こういう選挙は地縁、血縁、地盤といった側面がどうしても強く出てくるんでしょうけど、それだけではつまらないような気もします。
あと、色んな人のビラを見させてもらってるんですけど、上で書いた「自分はこうする」という部分が少し足りない人とか、逆に総花的になっちゃってる人とかもいて、これはこれでその人の個性が出てて面白かったりもします。
今のところ誰に入れるかは考えてませんね。これからの選挙演説を聞いて、当日の投票所で決めようと思います。
これからこの類いのことを書いていくかもしれませんが、今夜はこれまで。  

Posted by ベンジー@宇土 at 23:23コメント(0)宇土のこと